2013年9月22日日曜日

薄熙来判決、無期懲役:「収賄、横領、職権乱用」、政治的犯罪の罪状はなし

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●22日、中国の山東省済南市中級人民法院(地裁)は、元重慶市書記で中共中央政治局委員だった薄熙来被告に「無期懲役」の判決を言い渡した。写真は薄熙来被告。


レコードチャイナ 配信日時:2013年9月22日 11時57分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=77058&type=0

<速報>薄熙来元重慶市書記に判決、無期懲役=収賄、横領、職権乱用で―中国

 2013年9月22日、中国の山東省済南市中級人民法院(地裁)は、元重慶市書記で中共中央政治局委員だった薄熙来被告に「無期懲役」の判決を言い渡した。

 裁かれた罪状は「収賄、横領、職権乱用」。
 薄熙来被告「文化大革命の再来を招きかねない政治的犯罪」を犯したとされるが、一切触れられていない。


 裁かれた罪状は「収賄、横領、職権乱用」。
 「政治的犯罪」に対する罪状はなし。
 つまり、政府当局の敗北に終わった、ということである。


レコードチャイナ 配信日時:2013年9月22日 12時28分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=77057&type=0

<薄熙来判決>中国のジレンマ露わに
=「一党支配下の自由競争」の矛盾も―中国研究第一人者遠藤誉氏が斬る


●22日、中国の山東省済南市中級人民法院(地裁)は、元重慶市書記で中国共産党中央政治局委員だった薄熙来に対する判決を言い渡した。無期懲役という、想定範囲内の結果だ。中国研究の第一人者・遠藤誉氏が真相に迫った。

 2013年9月22日午前、中国の山東省済南市中級人民法院(地裁)は、元重慶市書記で中国共産党中央政治局委員だった薄熙来に対する判決を言い渡した。
 無期懲役という、想定範囲内の結果だ。
 不服であれば薄熙来には、10日以内に上告する権利がある。
 中国は二審まで許される。
 そこで最終判決が出る。

 裁かれた罪状は「収賄、横領、職権乱用」だが、実際は違う。
 文化大革命(文革)(1966~76年)を総括するに当たり中国共産党中央が下した結論
●.「個人崇拝をしてはならない」と
●.「民衆運動を政治運動化してはならない」
という基本路線を薄熙来は犯したのである。
 この二つを犯すと中国共産党の集団指導体制は乱れ一党支配制度が崩壊する。
 文革から学んだ教訓だ。
 だからこそ薄熙来は失脚したのである。
 にもかかわらず罪状の中で「文革の再来を招きかねない政治的罪」に一切触れなかったのは、事実、その再来の危険性が中国社会に内在しているからだ。

 中国共産党は「マルクス・レーニン主義」と「毛沢東思想」を党規約に残しながら、改革開放の市場経済を断行した。
 富の再分配と平等を旨としながら、自由競争を許したのである。
 これは論理的に矛盾する。
 しかも、一党支配の下で自由競争を許せば、党幹部の腐敗と貧富の格差を招くのは始めから見えていた。

 そこで中国は「中国特色社会主義国家(中国の特色ある社会主義国家)」という定義を用いて、この根本的矛盾を回避してきた。
 たった「特色」という二文字で、党規約と現実社会との間に乖離があることから逃げてきたのだ。

■▼一挙両得の計算―政治的犯罪に触れず

 その矛盾に照準を当てて自らの政治的野心を遂げようとしたのが薄熙来である。
 自分を第二の毛沢東と位置づけて、改革開放の恩恵にあずかれない者たちの心をくすぐった。
 結果、競争に取り残された者の一部は熱狂的に薄熙来を礼賛。
 その熱狂は、貧富の格差を招いた現政権に対する「ノー」を突き付けたものであり、「特色」の二文字で逃げてきた中国のツケでもある。
 だから罪状では「文革の再来を招きかねない政治的犯罪」には一切触れていない。
 収賄や横領の金額も実際よりはずいぶんと低めに見積もられている。
 この時点で本来なら「死刑」になるはずの判決は出さないということが見えていた。

 なぜなら元鉄道部部長(大臣)だった劉志軍は、収賄横領(6460万元)だけで(執行猶予付き)死刑判決を受けたばかりだ(2013年7月8日)。
 薄熙来の場合と違い、死刑にしても「人民の反発がない」ことを中共中央は知っていたから迷うことなく死刑にした。
 同時に収賄横領だけでも死刑になることを示すことによって、腐敗の温床となっている部局に切り込んでいく意思を見せた。
 鉄道部の次は国有企業・石油閥。利益集団にメスを入れている。

 薄熙来に関して罪状の収賄横領の合計額を2600万元と、劉志軍より低めに見積もっているのは、劉志軍より多い実際の金額(5000万元以上)を示せば死刑にしなければならなくなるからだ。
 しかし死刑にすれば毛沢東を懐かしむ「薄熙来万歳」側の人民の抵抗があることを知っている。
 だから金額を少なめにした。
 しかし「これしきの腐敗額でも、これだけの重罪に処せられる」という恐怖を党員に植え付けることはできる。
 一挙両得の計算だ。

 昨年11月の第18回党大会で、胡錦濤も習近平も
 「腐敗問題を解決できなければ、党が滅び、国が亡ぶ」
と叫んだ。
 それほどに党幹部の腐敗は限界に来ている。
 もし中国に一党支配体制の崩壊があるとすれば、本来なら社会主義的価値観から乖離した「腐敗」という内部要因から崩れていく。
 だから必死だ。

■▼毛沢東は護身の免罪符

 習近平政権になったあと、中共中央は大衆路線に基づいた思想宣伝を盛んに行なうようになった。
 かつて毛沢東が使ったスローガンが飛び交っている。
 まるで毛沢東時代への回帰のように見えるが、そうではない。
 「特色」の二文字では逃げ切れない貧富の格差と民衆の不満を躱(かわ)すのが目的だ。
 薄熙来に重い判決が出たときに、民衆が習近平政権に抗議活動を行わないように、民衆に「媚びている」とも言えよう。
 「ほらね、私もこんなに人民の味方、毛沢東と同じですよ」
というメッセージを貧困層に送る。
 毛沢東は習近平にとっても護身の免罪符なのである。

 昨年9月の反日暴動で、反日の横断幕と同じ数だけ毛沢東の肖像画があった。
 あれは「反政府」の意思表示であり、「薄熙来支持」のプラカードでもあった。
 しかし党規約にある毛沢東を礼賛しても罪には問えない。
 毛沢東は「お守り札」なのだ。
 その手法を逆手に取りながら、習近平政権は民心の安定に躍起になっている。
 汚職にメスを入れるのも、そのためだ。

 薄熙来が上告しても、最終判決は11月に開かれる三中全会(第三次中共中央委員会全体会議)までには出るだろう。
 党籍を剥奪された薄熙来が復権することは絶対にない。
 判決はチャイナ・セブン(中共中央政治局常務委員会委員7名)により、初めから決まっている。
 筆者が「チャイナ・ジャッジ」と名付けた薄熙来審判の中には、中国がいま抱える苦悩とジレンマが詰め込まれていることに注目したい。
 (なお詳細は遠藤誉著『チャイナ・ジャッジ―毛沢東になれなかった男』にある。)      

遠藤 誉(えんどう ほまれ)
筑波大学名誉教授、東京福祉大学国際交流センター長、理学博士。
1941年に中国吉林省長春市に生まれる。1953年、日本帰国。
中国社会科学院社会学研究所客員教授・研究員、筑波大教授などを歴任。著書に『ネット大国中国―言論をめぐる攻防』『チャイナ・ナイン―中国を動かす9人の男たち』『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『ちゃー子(チャーズ)―中国建国の残火』『チャイナ・ギャップ―噛み合わない日中の歯車』『完全解読「中国外交戦略」の狙い』など多数。



サーチナニュース 2013/09/23(月) 13:32
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0923&f=national_0923_022.shtml

薄熙来氏に無期判決「事実に基づく法治の真骨頂」=中国報道

  元重慶市トップで、収賄、横領などの罪で起訴された薄熙来被告の判決公判が22日山東省で開かれ、無期懲役などの1審判決が下された。
 中国メディア・法制網は22日、今回の判決について
 「事実に基づき法理法規に則って行われた法治政治が体現された
とする評論記事を掲載した。

  記事は、薄被告が収賄で無期懲役と政治権利はく奪、全財産没収、横領で懲役15年と100万元の没収、職権乱用で7年の懲役がそれぞれ言い渡され、併せて無期懲役、政治権利はく奪、全財産没収となったことを伝えた。

  そして、8月22日から始まった一連の裁判について、事実がはっきりと示されたこと、十分な証拠が示されるとともに、信ぴょう性の低いものについては排除されたこと、被告に十分な弁護権や発言権を与えたこと、政界の大物だからといって罪を軽くしなかったことを挙げた。

  また、審理の状況がリアルタイムでミニブログ上に掲載されるなど、公開された公平な裁判が行われたとして、「国内外から評価された」、「訴訟手続きに厳格に従った模範例」と伝えた。
 さらに、
 「わが国が社会主義法治国家であり、法律の尊厳、権威が踏みにじられることはない、ということを改めて証明した」
と評価した。

  薄被告が市民から高い人気を誇っていたこともあり、現政権は市民の不満を高めないよう今回の裁判の公平、公正ぶりに細心の注意を払ったことが伺える。



レコードチャイナ 配信日時:2013年9月23日 12時10分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=77093&type=0

薄熙来被告と親密だった中国前指導部・周永康氏の息子、シンガポールで当局の監視下に―香港紙


●21日、中国前指導部の主要メンバー周永康氏の息子・周浜氏が、滞在先のシンガポールで中国当局の監視下にあると香港紙が報道した。写真は周永康氏。

 2013年9月21日、ラジオ・フランス・アンテルナショナルによると、香港紙・明鏡は中国前指導部の主要メンバー周永康(ジョウ・ヨンカン)氏の息子・周浜(ジョウ・ビン)氏が滞在先のシンガポールで中国当局の監視下にあると伝えた。

 北京の消息筋は、周浜氏は米国やシンガポールなどのパスポートを複数所持しており、国際法上煩雑な手続きを必要とするなどの背景から、同氏は身柄拘束されるには至っていないと話す。
 現在、周氏には自由がなく、シンガポールからの移動も中国当局が禁じているという。

 収賄、横領、職権乱用の罪で起訴された元重慶市トップ、薄熙来(ボー・シーライ)被告と最も近い関係にあったとされる周永康氏の周辺では、薄被告の公判直後から関係者の身柄拘束が相次いでいる。
 中国共産党中央紀律委員会の王岐山(ワン・チーシャン)書記が、周浜氏に対する24時間体制の監視と、中央政府の正式許可を経ない逮捕、拘束を禁じる指示を直接下したとの報道もある。

 同紙はさらに、周浜氏の軟禁状態が他の上層幹部にも波及していると伝えている。



レコードチャイナ 配信日時:2013年9月23日 18時0分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=77095&type=0

無期判決の薄熙来被告、獄死せず最短で仮釈放か―中国

 2013年9月22日、世界日報は、中国で収賄や横領、職権乱用の罪で無期懲役の判決を言い渡された元重慶市共産党委員会書記、薄熙来(ボー・シーライ)被告について
 「獄死せず最短で仮釈放か」
と題する記事を掲載した。

 中国山東省済南市中級人民法院は22日、薄被告に無期懲役の判決を言い渡した。
 薄被告は上訴する可能性もあるが、中国の刑法81条によると、服役中の態度がよければ13年を経た時点で刑の減軽が検討され、仮釈放される可能性もある。

 薄被告が年内に刑に服した場合、早ければ13年後の77歳で仮釈放される可能性がある。
 中国文化大学の中山・中国大陸研究所の邵宗海(シャオ・ゾンハイ)所長は、中国で無期判決を受けた多くの政府関係者が十数年後には仮釈放されてきたことから「薄被告が獄死することはない」と予測。
 しかし、司法関係者は薄被告が一貫して起訴内容を否認しているうえ、中国当局の政治状況も合わせると、仮釈放は「案件の特殊性による」とみている。



ウォールストリートジャーナル     2013年 9月 23日 13:16 JST
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303529604579092212253140056.html
By JEREMY PAGE

習主席、権力固めへ一歩前進―薄被告の無期懲役判決で


●薄熙来被告(22日、北京)

 【北京】
 薄熙来被告は身長が6フィート1インチ(約185センチ)で、中国共産党指導者の中でも背が最も高いうちの1人だ。
 だが、先月の初公判で撮影された公開写真でも、22日の判決公判の公開写真でも、薄被告の脇に立っていた2人の警察官はいずれも、彼より1~2インチ(約2.5~5センチ)は高かった。

 政治志向の強い中国人にとって、背後にある意味は明白だった。
 習近平総書記(国家主席)率いる共産党の新指導部は、小さく見える薄被告の姿を中国の一般大衆の目に焼き付けることを狙ったのだ。
 大衆の一部は、薄氏のポピュリスト(大衆迎合)的な政策やカリスマ的な指導スタイルに魅了されていた。

 薄被告を無期懲役刑に処することによって、習氏は、薄氏の妻による2011年11月の英国人実業家殺害事件をきっかけに起こった熾烈な党内権力闘争の唯一の勝者であることを鮮明にしようと試みている。

 山東省済南市中級人民法院(地裁)の公式ミニブログ上に掲載された最終公開写真は、手錠をはめられた薄被告が2人の警察官にがっちりつかまれて退廷する姿だった。

 同じようなメッセージは、先月終わった薄被告初公判のわずか2日後にも出された。
 その際、習主席は、薄氏が1990年代当時、市長として人気の高かった北東部の港湾都市・大連を訪問し、中国初の空母「遼寧」に乗艦するという異例の行動に出たのだ。

 中国共産党の歴史家で政治アナリスト、章立凡(Zhang Lifan)氏は
 「習氏は強い指導者になりたがっているが、まだ必要とする権力を掌握していない」
と述べ、
 「薄熙来をこのように処置することによって、習氏は第18期中央委員会第3回総会(3中総会)を前にして、いかなる敵対者をも厳しく処置するという明確なメッセージを送ろうとしている」
と語った。

 章氏やその他の党関係者は、鄧小平を模倣しようとする意識的な試みが展開されると予想している。
 鄧小平は毛沢東の死去後、長引く権力闘争で勝利したあと、1978年の第11期3中総会で、中国初の市場志向型改革を打ち出した。

 政治関係者やアナリストの中には、これが薄スキャンダルの最も重要な遺産になる可能性が十分あるとみる向きが少なくない。
 つまりカリスマ的で実力者型の政治の復活であり、1997年の鄧小平死去後の集団的、コンセンサス型の指導形態の逆転を意図するものだ。

 ただし習氏の個人的な権力を過大評価すべきではない。
 習氏は過去数カ月間の内部闘争で妥協した公算が大きい。
 党エリートの支持を維持するには舞台裏の取引が一層必要になるだろう。
 経済改革が党官僚や国営企業の特権を抑制し始めるとすれば、なおさらだ。

 鄧小平でさえ、1980年代から90年代初めにかけて内部の挑戦に直面した。

 習氏は、薄氏が失墜に至るまでの数年間そうしたような大衆動員や政治的ネットワークの構築をいかなる党幹部にも容認しないだろう。

 党は非常に有能でほとんど互換可能なテクノクラートに満ちた指導部を持っているという印象を外部に受け付けようとしているが、薄氏のスキャンダルは、中国の政治が属人的であることをあらためて強力に想起させる。

 習氏も薄氏も、有名な革命世代指導者の息子(いわゆる「太子党」)として早くからこの教訓を学んだ。
 彼らは子供の頃から互いに知っていたし、彼らの父親(習仲勲と薄一波)が1960年代に毛沢東主席によって追放され、牢獄に送られた時、ワンマン独裁の危険を肌で感じたはずだ。

 それでも習氏と薄氏を知る人々によれば、両氏は、過去10年間の胡錦濤主席時代に強い指導部が欠如していたことが政策の漂流、党内部の無規律、官僚の既得権益強化につながったとの見方をどうやら共有していたようだ。

 ボストン大学の中国政治専門家ジョセフ・ヒュースミス氏は米フーバー研究所の「中国指導部モニター」最新版で、
 「薄氏の左翼主義的なナショナリズムと習氏のナショナリスト的なポピュリズムからみると、
 党はただ漂流しているだけであり、
 大衆の熱意を再燃させ、内部規律を生み出さない限り、党は生き残れない
との考えを2人が共有していたことがうかがえる」
と書いた。

 薄氏は最高指導者の後継者としての習氏の地位を決して直接脅かすことはなかった。
 習氏は2007年に最高意思決定機関である党中央政治局常務委員会入りした際、非公式に中国の最高指導者候補となった。
 これに対し、薄氏は25人の委員で構成される政治局入りしただけで、中国西部の重慶市の党委員会書記に任命された。

 しかし薄氏は、2012年に常務委員会入りする野心を隠そうとしなかった。
 薄氏は盟友だった周永康常務委員(その後引退)に代わって公安担当のポストを希望していた、と多くの党内部関係者は言う。

 そうなっていたなら、薄氏は政策を立案する立場を確保し、膨大な公安機構を使って潜在的なライバルを切り崩せただろう。
 薄氏は個人的なカリスマ性があり、メディア操縦の才もあったから、それだけ脅威だった。

 習氏は2010年12月、重慶を訪問した際、薄氏の政治的ブランド化の成功を目の当たりにした。
 習氏は当時、副主席だった。
 しかし、薄氏は中国の政治スターで、組織犯罪の取り締まりと毛沢東主義復活キャンペーンで、中国のあちこちで称賛された。

 米ブルッキングス研究所の中国政治専門家Cheng Li(李成)氏は
 「もちろん、習氏は薄氏が自分を尊重しておらず、ライバルになり得ることを承知していた」
と述べた。

 薄氏の腹心で重慶市公安局長だった王立軍が米総領事館に逃げ込み、薄氏の妻が英国人実業家を殺害したと米外交官に暴露した際、習氏にとって薄氏という政治ライバルを無力化する機会が到来した。

 党指導部は、このスキャンダルにどう対応するかで分裂した。
 胡主席と温家宝首相(いずれも当時)は、厳罰を望んだが、薄氏の盟友、特に周永康氏はもっと寛大な処置を主張した、と党内部関係者は言う。

 これら関係者やアナリストによれば、習氏は、双方の陣営と良好な関係を持つ数少ない指導者で、その後の話し合いで決定的な発言権を持った。
 習氏はこれを無駄にしなかった。

 ブルッキングス研究所のLi氏は
 「初日から、習氏ははっきり胡主席と温首相の側についた」
と述べ、
 「それは良い政治判断だった。
 薄熙来が政治プレーヤーとして復活する可能性はゼロだ」
と語った。


レコードチャイナ 配信日時:2013年9月24日 18時2分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=77131&type=0

「薄熙来被告は長期的視野で市民と接触、政治的遺産は容易に消えぬ」―台湾紙

 23日、台湾紙・旺報は、中国で収賄罪などで22日に無期懲役判決を受けた元重慶市共産党委員会書記の薄熙来被告について「政治的遺産は容易に消えない」と題する記事を掲載した。
 2013年9月23日、台湾紙・旺報は、中国で収賄と横領、職権乱用罪などで22日に無期懲役判決を受けた元重慶市共産党委員会書記(元政治局員)の薄熙来(ボー・シーライ)被告について
 「長期的視野を持って市民と触れ合った。政治的遺産は容易に消えない」
と題する記事を掲載した。
 以下はその概要。

 西側主要メディアは
 「薄被告が中国政治の表舞台に復帰する可能性はゼロに近いが、同被告の政治的遺産は容易に消せないだろう」
と予測した。
 米紙ニューヨーク・タイムズは23日、
 「薄被告の政治生命は絶たれたが、市民生活から消えるには数十年かかる」
と指摘。
 「古臭い中国政治を公然と軽視し、自らを社会主義的美徳を持った国粋主義守護者に仕立て上げた」
と論じた。

 米ワシントン・ポスト紙は、同被告の政治的権利は剥奪され、再起の希望は泡と消えたが、専門家は
 「残された政治的遺産は今後も継続する可能性がある」
とみていると伝えた。

 さらに、英紙ガーディアンは
 「同被告を好きな人からみれば、彼は長期的視野を持った人物だ。
 中国の発展を身近な人の話として説き、一般市民の苦労を理解しようとした人物として賞賛されている」
と報じた。



毎日新聞 2013年09月23日 23時09分(最終更新 09月24日 00時25分)
http://mainichi.jp/select/news/20130924k0000m030065000c.html

中国:薄被告が上訴 判決後に大声で「不公正」

 【北京・工藤哲】ロイター通信は23日、収賄罪などで22日に無期懲役判決を受けた重慶市共産党委員会の元書記、薄熙来(はく・きらい)被告(64)=元政治局委員=が判決を不服として上訴したと伝えた。
 中国は2審制で、上訴審での判決で刑が確定するが、薄被告は検察側と全面的に争う構えとみられる。

 23日付の香港紙「明報」は、判決言い渡しの後に薄被告が
 「不公正だ。著しく事実と異なる」
と大声で叫んだと報じた。
 山東省済南市中級人民法院(地裁)で公判を傍聴した人の話として伝えた。

 報道によると、薄被告は判決が言い渡された後、憤りをあらわにし
 「判決は不公正だ。
 私や私の弁護士の根拠ある意見は全く採用されなかった」
と大声を上げた。
 この騒ぎで緊急に薄被告の両手首に手錠がはめられ、法廷から退出させられた。
 薄被告が上訴するかどうかの意見を述べる機会もなかったという。
 法院の担当者は閉廷後の記者会見で、上訴の見通しについて明言を避けていた。

 23日付の北京の主要各紙は、手錠をかけられた薄被告を1面で大きく扱い、党として高級幹部の腐敗を断固許さず、法を重視する姿勢を強調する論評を掲載している。
 しかし薄被告が叫んだことは伝えていない。

 中国外務省の洪磊(こう・らい)副報道局長は23日の定例会見で、薄被告の判決について「法に基づいた判決だ」などと述べるにとどめた。


レコードチャイナ 配信日時:2013年9月25日 8時50分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=77148&type=0

<薄熙来上告か>
習近平主席、「強烈意思」示すも試練はこれから―中国研究の第一人者遠藤誉氏が斬る

 元重慶市書記・薄熙来(元中共中央政治局委員)が、どうやら上告の方向で動いているようだ。
 本来なら一審
 判決を言い渡した9月22日に、(山東省)済南市中級人民法院(地裁)の裁判長が「被告には上告の意思があるか否か」を聞く。
 被告はその場で上告の意思表明をする場合もあれば、「10日内に決めます」と回答する場合もある。しかし今回はそのプロセスがなかった。

 裁判長が無期懲役の判決を言い渡した後に「もし本判決に不服ならば判決文を受け取った2日目から計算して10日以内に、本裁判所あるいは山東省高級人民法院(高裁)に上告することができる」と言っただけで閉廷してしまった。
 その時間は9月22日、11:54。

 済南市地裁の微博(ウェイボー)(マイクロブログ)は、11:55に、「司法警察が被告人に手錠を掛けて法廷から出て行った」と伝えただけだ。
 そして12:08に手錠を掛けられた薄熙来の静止画面が同微博に現れた。

 この流れにはギャップがあり違和感を覚えていたのだが、実は11:54~11:55の1分間の間に、薄熙来が大声で叫んでいたという。
 判決を言い渡された後、薄熙来は
 「判決は不公平だ!明らかに事実に反している!公正じゃない!私や弁護人の証拠に基づいた弁護を全く採用していない!」
と叫んだと、翌23日の香港メディア「明報」が伝えた。
 おそらく傍聴席にいた誰かが漏らしたのだろう。

 23日の中国の新聞は、一斉に薄熙来が手錠を掛けられた姿をトップページに掲載した。
 中央テレビ局CCTVも、この手錠を大写しにして、薄熙来の強く握った拳が震える様を繰り返し放映した。

 中共中央の強烈な意志を示した「通稿」(新華社を通して通達する統一した原稿)が配信されたものと思う。
 それはどんなことがあっても薄熙来は再起不能であることを示し、薄熙来をヒーローと崇める一部の人民の口を完全に封じたことも意味する。

 1997年8月に党籍を剥奪され98年2月に逮捕された元北京市書記の陳希同(元中共中央政治局委員)の場合は、98年7月に16年の懲役刑を受け上告した。
 同年8月、その上告は棄却されている。

 同じく中共中央政治局委員だった元上海市書記・陳良宇は、2008年4月に18年の懲役刑を言い渡され、上告を放棄した。

 薄熙来が上告しても一審判決が覆ることは絶対にない。
 22日の判決時点で裁判自身は事実上終わっていると考えた方がいい。

 改革開放以来、3人目の中共中央政治局委員の失脚は、今回の徹底した中共中央の意思決定により歴史に刻まれるだろう。
 習近平政権にとって、薄熙来事件は最も困難な最初の試練だった。
 しかしこの難関を乗り越えてもなお、前回指摘した、中国が抱える根本的矛盾は残ったままだ。試練はこれからなのである。

遠藤誉(えんどう・ほまれ)
筑波大学名誉教授、東京福祉大学国際交流センター長、理学博士。1941年に中国吉林省長春市に生まれる。1953年、日本帰国。中国社会科学院社会学研究所客員教授・研究員、筑波大教授などを歴任。著書に『ネット大国中国―言論をめぐる攻防』『チャイナ・ナイン―中国を動かす9人の男たち』『チャイナ・ジャッジ―毛沢東になれなかった男』『ちゃー子(チャーズ)―中国建国の残火』『チャイナ・ギャップ―噛み合わない日中の歯車』『完全解読「中国外交戦略」の狙い』など多数。



WEDGE Infinity 2013年09月27日(Fri) 
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3194?page=1

中国メディアは何を報じているか
薄煕来裁判で法治主義と反腐敗を強調する本当の意味

 2013年9月22日、山東省済南市中級人民法院が、薄煕来に対し、無期懲役、政治権利の終身はく奪、個人財産すべての没収の判決を言い渡した。

 この裁判を中国国内外が注目したのは、薄が中央政治局委員という中国共産党内の序列25位以内の最高位層にありながら、2012年3月に突然失脚した人物だからである。
 その背景には薄が胡錦濤から習近平への政権交代を前に、権力闘争があったと見られる。
 しかし、権力闘争の存在を中国の公式メディアは当然ながらこれまで一切報じていない。

 それでは、この裁判を中国共産党中央の機関紙『人民日報』はどう伝えたのだろうか。

■法治、反腐敗を強調

 同月23日付『人民日報』は1面でこの判決を報じた。
 そして4面に、判決文の要約が掲載された。
 それによれば、(1) 2044万元の賄賂による収賄罪、(2)500万元の公金の私的利用による横領罪、(3)2011年11月の妻薄谷開来らによるイギリス人殺人事件、2012年2月の王立軍重慶市副市長の駐成都米国総領事館駆け込み事件などに関わる捜査への不当関与による職権濫用罪の3つの罪状である。

 この裁判の意義を周知するために、1面には評論員文章が掲載された。
 タイトルは「法治、反腐敗を堅持し、クリーンな政治を構築する」である。その中で注目したのは以下の部分である。

 「薄煕来事件全体を総合的に観察すると、立件、捜査、審査、起訴、公訴から開廷、審理まで、さらに裁判所の判決まで、プロセス全体が事実を根拠とし、法律を原則とし、法治の精神と司法の正義を示し、法に基づき腐敗を取り締まるというわが党と国家の断固とした態度と固い決心を表明した

 「己を律するにはクリーンを第一とし、国を治めるには法を第一とする。変わることなく断固として腐敗を取り締まることは、わが党の有する力の表現であり、全党同志と広範な大衆の共同の願いである

 「全党同志、とりわけ各級の指導幹部は、いかなる人も法律のほかに絶対的な権力はないことを、いかなる人も権力を行使するには人民に奉仕し、人民に対して責任を負い、自覚的に人民の監督を受けることを、必ずしっかりと胸に刻まなければならない

■支持獲得の絶好のチャンス

 評論員論文は、法に基づき公正な裁判を行う法治主義を重視し、腐敗に反対し、汚職を断固取り締まる習政権の強い意志を示したといえる。
 薄が起訴された翌日の2013年7月26日の評論員文章のタイトルも「法治に特区はない、反腐敗に例外はない」というもので、第一審終了の翌日同年9月27日の評論員文章のタイトルも「法治の考え方と法治の方式で腐敗に反対する」というものだった。
 習政権の姿勢は一貫している。

 薄への政治上の処分は、2012年9月の中央政治局会議で中央政治局委員と中央委員の職務が停止され、党籍はく奪されたことですでに決していた。
 また裁判における罪状についても、同会議における中央規律検査委員会の報告ですでに示されていた。
 それは薄に対する政治上の処分も司法上の処分も、胡政権下で江と胡のあいだですでに決していたことを意味する。
 つまり党内で合意ができていたということだ。

 そのため、習にとって裁判は「後始末」にすぎなかった。
 しかし「後始末」であるがゆえに、習はこの裁判を自らの権力基盤の強化するために、利用しない手はなかった。
 法治主義、反腐敗を全面的に押し出すことで、共産党や政府幹部に不満を持つ多くの人々の支持を得ようとした。
 薄が裁判で起訴内容を否定したことも『人民日報』は「薄煕来と弁護人は薄煕来が収賄と横領、職権濫用の罪に該当しないとの弁解と弁護意見を提出した」と報じたが、それも裁判の公正さをアピールするだけで、習にとって何の損にもならないという読みがあってのことだった。

■共産党の危機を包み隠す

 しかし、党がすでに結論を出していたこの裁判が、法に基づく公正な裁判だったと思う人はほとんどいない。
 また汚職が原因ではなく、権力闘争に敗れたため、薄が失脚したことをほとんどの人は分かっている。
 そのため、薄の裁判を通じて法治主義や反腐敗をアピールすることは、習にとって多くの人々の支持を得るための方法としては必ずしもうまいやり方ではない。

 それでも、習政権が一貫して法治主義と反腐敗を強調するのは、共産党の一党支配の危機を覆い隠すためでもあるだろう。
 薄が仕掛けた権力闘争が、「江 vs. 胡」の対立構図の一部分だったとすれば、薄は江に守られ、失脚を免れたはずである。
 しかし、失脚に追い込まれたことは、薄が共産党の一党支配を揺るがす存在だったからに他ならない。
 それは理念的なことではなく、「人事の既得権益」とも言える2007年の第17回党大会で確定した5年後の「習近平=李克強」体制という既定路線を崩そうとしたものといえる。
 薄の「野心」、すなわち習近平が兼務する国家主席や李克強が兼務する国務院総理といった重要なポストを当時狙っていたとする憶測にはかなりの説得力がある。
 それは江も胡も受け入れられないものだった。

 無期懲役、政治権利の終身はく奪としたことで、薄の政治家生命を断ち切り、現代的意味での共産党の一党支配を守ること、為政者の既得権益を守ることがこの裁判の本質であった。
 しかしそのような本質は、法治主義と反腐敗で覆い隠さなければならなかった。

 共産党は薄がもたらした危機に一区切りつけたと思う。
 しかし、それは2017年の第19回党大会に向けたまだ見ぬ新しい権力闘争の始まりに過ぎないのである。

 佐々木智弘 (ささき・のりひろ)  日本貿易振興機構アジア経済研究所東アジア研究グループ長
1994年慶應義塾大学大学院博士前期課程修了、同年アジア経済研究所入所。北京大学、復旦大学、中国社会科学院の客員研究員を経て、現在日本貿易振興機構アジア経済研究所東アジア研究グループ長。共著に『習近平政権の中国』(アジア経済研究所)、『現代中国政治外交の原点』(慶應義塾大学出版会)。



【トラブルメーカーから友なき怪獣へ】



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