2013年10月31日木曜日

「失われた20年」は衰退を誇張した偽りの命題:日本は今でも豊かな経済先進国

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「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年10月31日
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2013-10/31/content_30461850.htm

 日本の「失われた20年」は偽りの命題

 中国社会科学院日本研究所の張季風研究員は「日本学刊」2013年第6期に発表した
 「日本の『失われた20年』を改めて観察」という論文で、
 日本の「失われた20年」はそもそも存在しない
比較する参照物を間違ったことにその誤りの原因があると指摘した。

 米経済誌フォーブスは最近エーモン ・フィングルトン氏の「日本の失われた20年説は大きな罠」と題する記事を掲載し、日本で大きな反響があった。
 同氏は自らの論点を証明するため、「インターナショナル・エコノミー」誌に掲載された米経済学者ウィリアム・クライン氏の「日本という錯覚:“失われた20年”説のまやかし」と題する記事を引用するとともに、2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏も同じような、
 つまり日本経済の低迷に関する見方は経済学的根拠に欠ける
という主張をしている。

  バブル経済崩壊後、日本はずっと立ち直れず、長年低迷状態にある。
 90年代末、日本経済の「失われた10年」という表現が見られるようになり、2010年前後になっても景気回復がみられないことからメディアは「失われた20年」と呼ぶようになった。

 「失われた20年」は「失われた10年」の延長で、メディアの宣伝で「失われた20年」は人々の間に深く浸透し、固有名詞となった。
 しかもこれだけでは足りないようで、「失われた30年」がまもなく到来しようとしている。
 人々の脳裏に焼き付く数々の奇跡を起こしてきた日本経済の面影は跡形もなく消えた。
 日本はまるで取り上げる価値もないほど衰退し、発展途上国にも及ばなくなったかのようだ。
 今の日本経済は本当にそこまで悲惨なのか?
 もちろん答えはノーだ。
 日本は今でも国民生活の豊かな経済先進国で、
 「失われた20年」は日本経済の衰退を誇張した偽りの命題だ。

■新自由主義改革と「失われた20年」

 この20年間、日本の経済成長率は低迷し、財政状況は悪化、デフレは長期化するとともに、個人の収入は増えず、特に低所得層の若者の収入は明らかに減少、地域格差、収入格差は拡大し、日本経済の国際的地位は低下した。
 これらはいわゆる「失われた20年」の真実にあたる。
 日本経済にみられるさまざまな問題は本質的には新自由主義改革、
 つまり「日本方式」の構造転換の過程における痛みと「必要な代償」といえる。
 「日本方式」は通常、欧米を追いかける工業経済時代にあった日本経済が後発の優位性を生かして取った「一国繁栄主義追及」の発展モデルと説明される。

 文章は短く、同意しかねる視点もあるが、賛同できる点も多い。
 著者は本文で明らかに、米政府は「失われた20年」というウソにごまかされ、不適切な対日政策を取ってきた結果、米国は非常に多くの経済的利益を失ったということを示唆している。
 一方の中国では、中日の政治関係の悪化および両国の国民感情の悪化などの影響でメディアから学者、官僚まで多かれ少なかれ「失われた20年」に惑わされ、日本経済を読み誤り、それが対日政策の判断に影響してきた可能性がある。
 深い霧に覆われた「失われた20年」の偽りと真実を解明し、
 日本経済の真相をつきとめるのは、日本を全面的かつ冷静に認識する上で有利になる。

 ただ、どんな経済モデルも特定の時代の産物であり、特定の条件下では成功し効果を発揮するが、時間の推移と環境の変化とともに、効果が失われ時代遅れになる。
 日本が追いつけの目標を実現すると、後発優位性はなくなり、それに知識経済の到来と経済のグローバル化の進展が加わり、「日本モデル」のかなりの部分は新たな情勢に対応できなくなった。
 バブル経済崩壊後、「日本モデル」の弊害が明るみになり、日本は新自由主義改革の推進をせざるを得なくなった。

 国の経済への干渉に反対し、市場を万能とみなし、自由放任至上主義を提唱し、「小さな政府」を標榜するのがいわゆる新自由主義の理論だ。

 80年代、中曽根首相は日本国有鉄道や日本電信電話公社などの民営化改革を推進し、日本の新自由主義改革の幕を開いた。
 橋本首相が提唱した「6つの改革」で日本の全面的な新自由主義改革がスタート。
 「小泉改革」は日本の新自由主義改革を継続、深化させた。
 日本の新自由主義改革の主な特徴はそれまでの「政府主導型モデル」を「市場主導型モデル」に変え、市場の力をより重視し、民間の活力を高めることにある。
 こうした構造転換はもちろん完全な「市場至上主義」への移行ではなく、政府の経済に対する過度な干渉が減るに過ぎない。

 新自由主義自体の理論的欠陥に加え、改革実践との不釣合いによって日本の新自由主義改革は成功どころか、一連の社会問題、さらには「失われた20年」をもたらしたとの声が絶えない。
 実際、国内外の経済環境の大きな変化によって、日本の経済政策は常に、公共投資拡大を通じて経済を刺激し危機を乗り越えるケインズ主義への後戻りを余儀なくされている。
 現在進めている「アベノミクス」もケインズ主義の内容が非常に多く盛り込まれ、「小さな政府」の目標はなかなか実現できないものの、改革による痛みは緩和されてきている。

 「失われた20年」の「真実」の多くは新自由主義改革によるものだが、日本政府が打ち出す「反新自由主義」の経済政策は危機の発生を食い止めている。
 いずれにせよ、「失われた20年」という言葉はあまりに大げさすぎる。

 日本人はかなりの心配性で、大部分の政治家も一般の国民も誇張を好まない。
 とりわけマスコミはさまざまな目的からいいニュースではなく悪いニュースばかり伝え、ニュースの効果を求めて事実を無責任に誇張する傾向がある。
 マスコミの長年の宣伝に加え、多くの日本人研究者の詳細で偏った「科学的論証」によって、多数の日本国民、さらには国際社会ですら日本が本当に「20年を失った」と勘違いしている。


【参考】



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